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埋み火(後)

 

 

 初めから撃ち合いとなった。二本の棍のうなりを、 は受け流す。

 見える。

 棍の動きが見えたことで、 は自分に自信を持った。ぎりぎりのところで、左、右とかわし、縦一文字に下ろすために剣を振りかぶった。

 孫策はそれに気付き、棍を二本交差させて受け止めた。

 力では負ける!

  はそう思い、鍔迫り合いにはせずにそのまま右回りに弧を描くように剣を回し、右下から左上に切り上げた。

 意表を突いたのだろう、孫策の反応が一瞬遅れた。

 今だ!

  はその剣の切っ先を更に真横に払い、孫策の棍の持ち手の辺りを狙った。

 がぁん、と音がして、棍は孫策の手を離れて水平に壁にぶつかり、それから床に落ちた。その間に は剣を更に斜めに振り下ろし、もう一方の棍も叩き落した。

  はそこで動きを止め、剣を持ったまま後ろに下がった。

 孫策は唖然としていた。 は多少の言いにくさを感じながらも声を出した。

「…おそれながら、勝負あったと」

 孫策は何も言わない。棍を落とされた自分の両手を見つめている。

「…あの」

 孫策は開いていた手のひらをぐっと握り締め、小さくため息をついた。そして軽く首を振る。

「…尚香の部隊にこんなヤツがいたとはな。知らなかったのは迂闊だったな」

 静かな声だった。孫策が一歩、 に近付いた。

  の頭に警鐘が鳴り響いた。が、臣下たるもの、主の許しなければその場を去ってはならないという生真面目さがそれを阻んだ。孫策が更に一歩近付いた。

 間合いに入られた、そう思った瞬間いきなり丸太のような腕が伸び、 の喉元を締め上げた。

「…っ!」

  はうめいた。自分の首を絞める指をはがそうと両手を動かそうとしたが、剣を持つほうの手が孫策の空いている片腕によってねじられた。からん、と音がして剣が落ちた。孫策はそれを足で蹴って手の届かないところまで飛ばし、その一方で を捕まえる腕を微妙に上げた。 のつま先が床につくか、つかないかになる。

「なおさらお前を抱きたくなった」

 孫策はそう言うと、 を捕まえている腕を無造作に動かし、 を床に叩きつけた。

  はとっさに受身を取るのが精一杯だった。それでも衝撃が襲い、一瞬息が止まった。が、すぐに起き上がるために手をついたところで、 は自分の目の前に片膝をついた孫策がいるのに気付いた。

 両肩をつかまれた、そう思ったときには仰向けで覆いかぶさられた。孫策の全体重で、 は床に押し付けられる。 が逃れようと床を蹴った足が、孫策の足首で引っかけられ、封じられる。

「誰か…っ!」

  が孫策の頬を手のひらで押し返すようにして悲鳴をあげた。

 孫策はその手を取る。 の両手首を大きな手のひらでまとめてつかむと、もう片方の手だけで器用にも の腰の帯を解く。孫策はそれを引っ張ると、 の両手首に巻きつけた。そして結び目を作り、ぎり、と締める。

「大人しくしてろ」

 本気なんだ、と は思った。

 勝ったら帰すというような約束は何の意味もなさなかった。そういえば孫策が斬ったという仙人もそんな話だっただろうかと は噂を思い出した。しかし、それは何の慰めにもならない。

  の着物の合わせ目から孫策の指が肌を探るために入り込んでくる。

  は身をよじって、夢中で叫んだ。

「お、お止めください!伯符さま…っ!」

 その声に孫策は動きを止めた。だがそれは の期待した効果があったからではなかった。

「伯符さま、か…」

 孫策は笑った。闊達さとは程遠い、薄い笑みだった。

「女の声でそんな風に呼ばれると、ゾクゾクするな」

  はそのとき、自分が孫策に対してずっと感じていた不安が何から起因しているのかを理解した。

 孫策の中で押し殺された何かがある。

 しかしそれは完全に押し殺されたわけでもなく、かと言って噴き出すでもなく、ときおり噴き出す気配だけを見せる。

 一言で言えば、危ういのだ。

 

 孫策の手が着物を完全に開きにかかった。乱暴に扱われた着物のどこかが裂ける音がした。

  の縛られた両腕が孫策の片腕で横の方へと押さえられる。無防備になった の胸元に孫策の顔がうずめられる。

 生々しいぬるりとした感覚が、 の肌に落ちてきた。それは彼女の上を這いまわり、ときにきつく吸い付いてくる。

 そのとき、孫策がふいに顔を上げた。それに気付いた がその視線を追うと、見回りだろうか、二人の兵士がこちらを見たまま立ち尽くしているのが目に入った。

 助けて…!

  がそう叫ぼうとするのを、孫策の大声がさえぎった。

「お前らに用はねぇっ!下がれ!」

 兵士が慌てたように、それでも「はっ!」と返事をする。

「ここには誰も来ねぇように見張ってろ!」

 兵士が後姿を見せて駆けていく。

 それを見送りながら、 は誰かが来てくれる可能性は絶望的になったと思った。

  は押さえられている両手の指を組み合わせ、ぐっと握り締めた。突然動かすことで孫策の腕を払い、気付いた孫策の首を目がけて思い切り叩きつける。最後の抵抗だった。

「つっ!」

 不意を突いたのだろう、それほど衝撃を与えたとは思えないが、孫策の気が一瞬それた。 は体を反転させ、うつ伏せの状態になってから一気に立ち上がろうとした。

 だがそのときには孫策は を視界にとらえ直していた。 を完全に凌駕する動きで、 の見せた背中を抱きすくめる。

 立ち上がるために肘と膝をついた は、そのままの姿勢で孫策の腕が臍の上辺りに巻き付いたのが分かった。

 何とかそれを振りほどこうと はもがく。が、腕はびくともしない。

 孫策の片腕が、むきだしにされた の胸のふくらみを背後から探り当てる。感触を楽しむように二、三度荒っぽく揉みしだくと、その手は のわき腹を通って下に向かった。

  はその気配に体が強張るのを感じた。

 袴に手がかけられる。下の帯も難なく解かれ、易々と脱がされる。

  はもう一つ衣擦れの音を聞いた。

 自分のではない、孫策自身のだ。

 孫策は自分の背中の方にいて、視界には入らないが何をしているのかは分かる。

 腰に回された腕にぐっと力が込められるのを は感じた。離れようとする の意志を無視して引き寄せられた、その次に。

 体を押し開かれる感触に、 は悲鳴をあげていた。

 

 どのくらいそうしていただろうか。

 何度かの行為が終わったにもかかわらず、孫策は を離そうとはしなかった。

  は仰向けにされ、力を失った両手の戒めはすでに解かれている。

 薄く目を開けた のすぐそばに、孫策の顔があった。

 頭を抱かれるようにされ、髪を撫でられながら、ゆっくりと唇が重ね合わされる。

 それはまるで愛しいものに対するもののようで。

 こんな状況でなければ、心を奪われたかもしれないと思うほどの優しくて深い口付け。

「… …」

 唇を離した孫策が、 の名を呼んだ。唇がもう一度重ねられる。

「… …」

 孫策が、 の名を呼ぶ。そしてもう一度口付け。

 口付けの度に、孫策の声がこだまする。

 

  、好きだ。

 お前は俺のものだ。

 俺のそばにいろ。

  、聞いてるのか。

 何度でも言ってやる。

  、お前だけだ、お前だけ…!!

 

  はもう何度目かも分からない口付けを感じていた。

 しかし、その耳には何も届かなかった。

 何も。

 

 


 

 暗くてすみません…。

 

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