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みちるもの(5)

 

 

  は数日を、静かに過ごしていた。

  の証言から、 を襲った賊には依頼主がいるらしいとのことで調査が行われた。孫策は徹底的に賊の素性を洗わせたが、何人も介しての依頼だったらしく、結局大元は判明しなかった。今回のことは子女を狙った誘拐事件として処理され、呉都とその一帯の治安維持活動が強化された。

 駆けつけてくれた陸遜は、ちょうど孫策が飛び出したのと同じくらいに呉都へ戻ってきたらしい。そしてその足で孫策と同じ道を辿って追いついたそうだ。

「実家にいた僕に、宮廷から知らせが来ましてね」

 お見舞いの花を生けながら、陸遜は の顔を見た。

「あなたが隣街へ移されると聞いて、胸騒ぎがして…それですぐに戻ったんです」

 陸遜は声を落とした。

「…だから証拠は、つかめませんでした。もたもたしていたら、手遅れになるかもしれないと思って」

 孫策と の不和を、その連中は聞いたのだ。

 それに自分達が巻き込まれるのを恐れて、賊に託して手を打った。成功すればもうけもの、失敗しても損はない、と。

「僕を…許してください」

 陸遜はうつむいた。

「こんな真似は…もう二度とさせませんから…」

 その陸遜は、再び実家に帰っている。今頃は家の者を今度こそ締め上げているはずだった。

 

 孫策がそろそろ復帰するらしいという話を が聞いたのは、そんな折りだった。

 あと二、三日で立てるようになる… がそう聞いたその日、唐突に孫策は訪ねてきた。

 驚く に、孫策はにやりと笑った。

「腕はとっくに動くんだけど…本当はまだ立つなって言われてんだ。俺が来たのは内緒だぞ」

  は苦笑しながら孫策を招き入れた。

 孫策は寝台に腰を下ろし、左手側に並んで座る を見た。まだ少し悪寒がするのか、 は上掛けを羽織ったままだ。

  は口を開く。

「本当なら私からお見舞いに行かないといけないところを…申し訳ありません」

「いや、いいんだよ。俺のほうが気になっただけだから」

 孫策は、ぶんぶんと首を横に振った。そうしてちょっと間を置いた。

 気になっていたことは。

「その…お前…また一人で泣いてたら…あれかなと思ってさ…」

 そのとき が少しだけ困った顔をしたのを、孫策は見逃さなかった。

「そういうことでしたら、大丈夫です」

  はさっと表情を元の穏やかなものに戻す。

。俺、今、そんな変なこと言ったか」

 はぐらかされないぞとばかりの孫策の言葉に、 は「そうではありませんけれど」と返す。

「見苦しいところを…。どうか、忘れてください」

 やっぱりこう来るか、と孫策は思った。だがこれは予想の範囲内だ。

 これは俺に対する気持ちがどうのという問題じゃない。

  が体調を崩したあの日、俺はここを勘違いした。

 でも今は、疑ったりしない。

 孫策は、賊の刃が自分を狙ったときのことを思い出す。

 あのとき、俺をかばうように飛び込んできた

 俺を助けるため、立ち上がるときに見せた瞳の強い光。

 それは の意志そのものだった。自惚れでなく、そう思う。

 だから…こういう態度は、こいつ自身の問題だ。

 こういうヤツなんだ。

 でも…何でだ?

 黙った孫策に、 も先日と同じことを繰り返すのは嫌だったのか、「実は…」と切り出した。

「子供の頃…両親を失ったとき、私はそのとき、ただ見ていることしかできませんでした。何にも…本当に何にもできなくて…泣くことさえできなくて…」

 自分で声が震えたのを は悟ったのか、一度言葉を切る。

「それを今でも思い出すことがあります…。それだけです」

  はそう言って口をつぐんだ。「それだけ」という言葉とは裏腹に、心なしか目が赤くなっていることに孫策は気付いた。 にとって今もなお軽く言及することのできない事柄なのだ。

「でも、じきに忘れますよ…」

 付け加えた に、孫策は思う。

 じきって、いつだよ。

「昔のことですから」

 違う。

「心配してくださって、ありがとうございます」

 そんなことじゃない。

「でも、平気ですから…」

 どうして平気って言うんだ?

 どうして一人でどうにかしようとするんだ?

 どうして一人で…。

 

 その問いの答えを、孫策はふいに理解した。

 理解すると同時に、かっと頭に血が上るのを感じた。 に対する怒りではない。 をそうする状況へ追い込んだすべてのものに対する怒りだった。

 

 自分の言葉を聞いて、孫策はどう思っただろうと はぼんやり考えた。

 言ってもどうにもならないことを口にして、愚痴の多い奴だと思われなかっただろうか。弱い奴だと思われなかっただろうか。

 済んだことだと言われるか。あるいはやっぱり忘れろと…。

 だが、孫策の反応は、 の予想とは異なっていた。

「…俺、知らなかったから」

 感情を抑えるようにしながら、孫策は を真っ直ぐに見た。

「お前がそんな目に遭ってたのに…助けにいってやれなくて、ごめんな」

  は一瞬、驚いたように黙った。

 が、次にわずかに微笑んだ。やがて、そのままで の瞳からぽろぽろと涙がこぼれ出す。

 

 孫策は座ったままで両腕を伸ばし、 の両肩を包むようにして自分のほうへ抱き寄せた。

 どうして一人でどうにかしようとするのか?

 自分の問いの答えを、孫策は見出した。

 こいつは。

  は。

  

 そうするしかないから、そうしてきたんだ…!

 

  はいつも助けを求めない。

  をそうさせるのは、助けをくれる人がいなかったという事実。

 自分でそうするしかなかったから、必要としてできるようにならざるを得なかったのだ。

  が言うように、自分で何とかできるときは、何とかして。

 できないときは、いつかその困難が消えるのを待って。

  は、自分の肩を抱く腕と、髪を撫でる腕とを感じた。

「今からでも子供のお前に会いにいけるんなら、会いにいきたい」

 その片手が髪から耳へ、頬へとすべる。指がわずかに動き、促されるままに は孫策のほうを向く。

「お前が困ってないか、確かめてきたいよ」

 まだ濡れているまぶたに口付けされる。まつげの間に唇が寄せられ、そっと吸われる。孫策は一度唇を離して、涙のあとを頬の下から上へと舐め取った。

「一日…一日…確かめて…」

 次は反対側。同じようにまぶたに口付けされる。が、今度はそのまま頬へと下がり、顎まで行き着いたところで、孫策はその辺りを唇で柔らかくはさむようにしてからゆっくりと顔を離した。

「お前がもし泣いてたら…」

 孫策は、 の肩を抱いている腕に力を込める。

「俺がなぐさめてやりたい…」

 そうしてからもう一度両腕で、 の肩を腕ごと抱きしめた。

 一体どれだけの日を、 は一人で泣いて過ごしてきたのだろう。

 支えてくれるものが欲しくても自分で自分を支えるしかなく、つらいときや悲しいときに、誰かに大丈夫だと言ってもらう代わりに自分で言い聞かせてきたのだ。

 

  は孫策の腕のままに、身を預けていた。自分の頼りない腕ではない、孫策の太くてがっちりした両腕が、力を抜いた自分の体を孫策に寄りかからせるようにしている。

 一番の嫌な思い出の、何が嫌いだったのか、今なら自分ではっきり分かる。

 何もできなかった自分が、ただ呆けているだけの自分が許せなくて、二度とあんな真似はしたくないと思っていた。

 だから、自分がしっかりしなければと思っていたのだ。

 でも、結局それはこういうこと。

 そもそも助けを必要としなければ、誰にも助けてもらえなくても気にならないから。

 一人で大丈夫ならば、助けなんかいらなければ。

 誰からも手を差し伸べてもらえないという現実に、気付かなくて済むから…。

 

  はわずかに体を動かして、孫策のほうに顔を向けようとした。孫策は少し顎を引いて を見ようとした。

 そして同時に目が合った。

 お互い、そのまま表情を探るようにしばし見つめ合う。

 先に目を閉じたのは 、首を傾けたのは孫策、動いたのは一緒にだった。

 唇が重なる。

 腕が回される。

 唇は離れたが、再び絡まった視線は間違いなくお互いを求め合うもの。

 もう一度唇が重なる。

 体が触れ合う。

 いつの間にかくつろげられた着物が、 の両肩からすべり落ちた。

 そうして抱きしめられたときに、 は自分の裸の胸が、孫策の胸につぶされるのを感じた。

 孫策の腕が緩められ、それが の頬を左右からはさむようにそえられた。

 わずかに体を前に傾けた孫策が、また に唇を重ねる。

 ついばむようにされながら、孫策の両の手が、左右同時に の顎をつたい、首へと下がったのが には分かった。鎖骨の辺りをなぞられ、ゆっくりと更に下がったその感触は、胸のふくらみまで来たところでぴたりと止まった。大きな手のひらがそれを包むように動かされる。 の頬に赤みが差す。

 気付いた孫策が、目だけで笑った。

 孫策の手の動きを追うように、次は口付けが首からその下へと、ときどき止まりつつ、徐々に下ろされていく。ふくらみの先端を含まれたとき、 はわずかに体を震わせたかもしれない。孫策が今度は表情として笑みを見せたからだ。

 孫策は顔を上げると、傷のないほうの腕で の背中を支えながら、ゆっくりと の体を倒した。

 目の前の の肌に、たった今、自分の付けた跡がある。

 もっと付けたい。

  の体に、自分の跡を残したい。

 衝動に駆られて、孫策は再び の胸に口付けを落とす。

 ふっと先日のことが孫策の頭をよぎった。

 細い腕で剣を構える

 離れろと叫ぶ姿はあまりにも無謀で、頼りなくて、それでいて凛々しかった。

 一瞬…それはほんの一瞬だったけれど、状況も忘れて、俺は見とれた。そして思った。

 こいつが、俺の惚れた女だ…!

 お互いの体が熱を帯びてくる。明夜は敷布をつかんでいた手を無意識に動かした。孫策の手のひらがそれを受け止める。明夜の指が孫策の指に組み合わせられ、そのままぐっと強く握り締められる。

 自分の中に、愛しいと思う気持ちがどんどんせり上がってくるのを孫策は感じた。

 本当は、今すぐにでも、犯したい。

 ともすれば荒くなりそうな感情を、孫策は理性をもって、ぎりぎりで制御する。

 孫策の、つながれていないほうの腕が、自分の胸から腰をつたっていくのを、 は意識せずにはいられなかった。体の中心をとらえられ、じっくりと撫でられるうちに、背中は反って浮き上がり、鼻から抜けるような声がもれてしまう。

 近い、と孫策は思った。指をほとんどその中心にうずめるようにして、気持ちをぶつけるように動かす。

  の中で、快感が弾け出した。意志とは無関係に腰が動き、その位置を変えるが孫策の指はぴったりついてくる。

 魚のように跳ねる体が、かぶさってきた孫策の体重で押さえつけられる。

 孫策は、自分の体から の体の痙攣を直接振動として感じた。やがてそれは止まり、一呼吸置いて、 の体からぐったりと力が抜ける。

  は、しばらくかたく目を閉じていたが、やがて大きく息をついてゆっくりとまぶたを開けた。視界に入るのはたくましい肩と腕。すぐ横にある孫策の横顔が目に入ると、 は心のおもむくままに、頬にそっと口付けた。

 その触れるか触れないかの感触に、孫策は気付いた。首を向けると、頬を上気させたままで、こちらを見やる の顔があった。

 可愛い、と孫策は思った。

 こいつのこんな姿を見れるのも、声を聞けるのも、俺だけだ…!

 抑えきれないものが、行動にあふれ出る。抵抗などないと分かっているのに、孫策は の両腕を自分の両腕でとらえた。

  の両腕が、それぞれ左右に敷布に押し付けられた。 の顔の真上に孫策の顔があり、孫策はそこから を見下ろしていた。ぎり、とつかまれた両手首が締められる。孫策の呼吸も、荒いものを含んでいる。

「入れたい…。 に、入れたい…」

 自分が何と答えたのか、 は覚えていない。

 ただ、それによって孫策は体を重ねてきた。

 高みに、連れていくために。

 

「なぁ、

 孫策が に呼びかけた。

 まだ余韻を残したまま、孫策と は抱き合っていた。 が孫策を見る。孫策は、話す前に先に体を起こそうと肘をついた。その拍子に、流れていた の髪を巻き込んだ。 が短く声を上げる。

「あっ。ごめん」

 孫策が気付いて慌てて腕をずらした。 は孫策の言葉に、つい笑みがもれる。

「…何だよ」

 孫策が の表情を見て言った。

「いえ、何でもありません」

 孫策は「いいけど」とつぶやきながら上半身を起こした。

「俺さ、大事なこと に言ってないんだ」

 そうして体をひねって に向ける。

「本当は、もっと前から、言おう言おうと思ってたんだけど…。その、何だか、照れくさくて…。つい、言いそびれてさ…」

 今回のことで逆に気付いたのだ。 の気持ちがどうのという前に、そもそも自分が伝えていなかったことに。

 孫策の様子から何となく見当をつけた は、自分も体を起こした。孫策は「あ、ちょっと待て」と掛け物をつかみ、空気をはらませて の肩にかけてやる。 は、そのときの触れた指をお礼の代わりにきゅっとつかむと、苦笑に似た笑いを見せた。

「…ごめんなさい。実は、私もなんですよ」

「えっ?」

 孫策は腕を組んでしばし黙り、考え、やがて思い当たったように腕をほどいた。

「…そう言えば、そうだな。聞いてねぇ」

 だから疑いを持ったってわけでもねぇんだけど、と孫策は内心で付け加える。今、初めて気が付いたことだ。

「いい機会だから、伝えておきます」

 続けようとした に、孫策は両手で遮るような仕草をした。

「待て!俺が先に言う!」

 慌てたような孫策の様子に、 は微笑む。

「分かりました」

 穏やかに、それでいて笑いをかみ殺しながら孫策の言葉を待つ。

「…では、どうぞ」

  に促されて、孫策は息を吸い込んだ。

 頭の中にあるのは、いつも思ってることだ。

 なのに本人を目の前にして口に出すとなると、緊張して柄にもなくどきどきする。

 たった一言告げるだけなのに、なぜこんなに体力を必要とするのだろう。

 孫策は息を吐き出し、もう一度吸い込んだ。

 意を決したように、ぐっと顔を のほうへ近付け、耳に口元を寄せる。

 孫策は言った。

 すぐそばの にしか聞こえないくらいの声で。でもはっきりと。

  は思わず熱くなった目を伏せて、孫策のほうへそっと顔を向けた。孫策の耳に、たった今、孫策がそうしたように、口元を寄せる。

 告げられたのは、同じ意味の、同じ言葉。

 孫策がはっとしたように を見て、それから何かをこらえるような、泣き笑いのような表情になった。

 

 何となくお互いにうつむいてしまい、「何を今更」と思いつつも顔を上げられない。

 それでもいつしかゆっくりと身を寄せ合い、孫策と の額がこつんとぶつかった。

 孫策の表情が笑いのかたちをとった。 も唇をほころばせる。

 

 胸に宿るのは、同じもの。

 感じられるのも、同じもの。

 それは、とてもこころよいもので…。

 

 


 

 拙いものですが、ここまで読んでくださってありがとうございました。これを書き上げるきっかけになったのは、無双3の猛将伝を借りたことです。大喬伝をプレイして思いっきりへこんだ私はその翌日に、変な対抗意識を燃やして思いました。「負けてたまるかぁぁぁぁっ!!」(←笑)

 少しでもお楽しみいただける部分があればよいのですが、いかがだったでしょうか…(弱気)。あ、ちなみに大喬のことは決して嫌いではないですよ〜。

 なお、この話のある重要な場面では、5年ほど前にヒロコさんからもらったメールをベースにしました。その節はありがとうね。

 

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