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秋桜

 

 

「『肌は玉のごとく、美貌は花のごとし』…か。素敵ですね」

 宮廷の休憩用に使われている広間である。 は置いてある腰掛けに身を預け書簡のつづりを開きながらつぶやくように言った。

 たまたま近くにいた孫尚香が、その声を聞きつけて振り向いた。

「何それ?何読んでるの?」

  は顔を上げて答える。

「他国の人名録ですよ」

 孫尚香が の手元を覗き込む。孫尚香に見やすいように はつづりの向きを合わせながら言った。

「姫様は甄氏という女性をご存知ですか?その方を称えた言葉ですよ」

「ふーん。よく分かんないけど、すごい美人なんだ」

 孫尚香の相槌に は「そうですね」と頷いて続けた。

「花に例えられる女性って、あこがれますよね…」

  は、この言葉を、深い意味で言ったわけではない。

 だがこのやり取りはたまたま耳にした者を通じて宮廷から庁舎へと密かに広まったのである。

 

「よぉ、尚香。…どうしたんだ、その花」

 足音も高らかに廊下を歩く孫尚香に偶然行き会った孫策が声をかけた。

 孫尚香は両手で抱えるようにして、花束を持っていた。細い葉に白や黄色の丸い花びらを円状に付けた花がいくつも重なっている。

「これ?松葉牡丹よ。普通の牡丹より小さめで、可愛いでしょ」

 孫尚香が足を止める。孫策は首をひねった。

「っていうか、お前と花なんて組み合わせは珍しいな。何に使うんだよ」

 孫尚香はその言葉に「どういう意味よ!」と頬を膨らませる。

「これ、 にあげるのよ。今から部屋に戻ってお手紙も書くの」

に?」

 思わぬ返事に孫策は聞き返した。が、思い当たることがあった。

「…もしかして、あの話か?」

 孫尚香と のやり取りは孫策の耳にも入っている。孫尚香はまだ唇を尖らせたまま頷いた。

「だからって、何でお前が」

 胡散臭げに言葉をつなぐ孫策に孫尚香は「悪い?」とずいっと胸を張る。

「気の利かない誰かのせいで、 が実は『私は花なんか似合わないんだわ』ってな感じで寂しい思いをしてるのかもしれないじゃない!」

 ズバッと切るような孫尚香の言葉に孫策は思わずたじろいだ。

「な、何だよ。俺だって…」

 思うところがねぇわけじゃねぇぞ。

 と、孫策が言い終える前に孫尚香はさっさと行ってしまった。大事な手紙を書く前に孫策にかまう時間が惜しいらしい。

「こら!…ったく。せっかちなヤツだな。まぁいいけど」

 肝心なのは だ。

 とりあえず、本人に会わなきゃ話にならねぇな。

 孫策はそう思って の房へと向かった。

 

「おいおい、何だよこりゃ…」

  の房の入り口で孫策は驚きの声をあげることになった。

 例の話を聞いて孫尚香のように考えた者は他にもいたようである。扉の周りにはすでに数々の花束や贈り物らしい包みが添えられていた。

 ただ、房の主は不在らしく、ご丁寧に付けられた手紙もろとも置かれたままになっている。

 たまたま手近にあった包みに重ねられてた手紙を孫策は好奇心のままに手に取った。幸いなことに封はされていない。

 手紙を開くと見慣れた流麗な文字が目に入った。

『こういう機会に、こういう形で日頃の礼をするのも良かろうと思い、準備させてもらった。さりげなく品があり、かつ凛とした雰囲気を持つ には、あやめが似合うと考えた。時期柄、切り花は贈れぬので、花かんざしをもって代えたい。この美しい紫を に贈ろう。 周公瑾』

 「いきなり公瑾かよ」とつぶやきつつ、孫策は見終わった手紙をもとに戻した。

 まぁいい。公瑾とは接触も多いし、このくらいは在り得ることだろう。

 だがこうなると他の差出人も気になる。孫策はその隣にあった花に視線を移した。

 

 それは小ぶりの白い花だった。細い枝にいくつも咲いている。孫策は付いていた手紙を開いた。

『この「ゆきやなぎ」に花が咲くことを教えてくれたのは だったなぁ。無学な俺に はいつも親切にしてくれる。この花が風に揺られるのを見る度に、俺は心優しい のことを思わずにはいられない…』

 署名には『呂子明』とあった。

 子明が。

  が皆に愛されてるのは嬉しいが、こういう風に表現されると何やら心配にもなってくる。

 孫策は手紙を戻すと次の花と手紙に手を伸ばした。

 

 こちらは切り花だった。茎を囲むようにして青色の筒状の花が何段にも付いている。添えられた手紙には『太子義』と記してある。

、貴女は控えめで、それでいて可憐なリンドウの花のような人だ。俺は戦うことしか知らぬ無骨者だが、許されるならば、俺は と恋の一騎討ちを申し込みたい。だが の姿を見ただけで、俺は戦う前から負けているだろう…』

 孫策の感想は短い。

 ざけんじゃねぇ。

 

 その隣はバラの花束だった。ちょうど蕾のほころび始めた真紅のバラで、ちょっとした本数が束ねられている。

 「いるよな、こういうベタなヤツ」と思いながら孫策は、手紙を開いて目をむいた。

 親父じゃねぇか!

『女性にはやはりこれが相応しいだろうと考え、この花を用意させた。まったく、 はあの馬鹿息子にはできすぎた女性だと思っている。今回、「殿もあと十年若ければというところでしょうな」と張公に笑われた。失礼な話だと思うだろう。俺はまだまだ現役だ…』

 何の現役だよ、と孫策は心の中でツッコミつつ、もう一度花を見た。完全に咲いたバラではなくて、ほころんだ蕾というのが何やら意味深でいやらしい。

 孫策はふと思い付いてバラの本数を数えた。

 しかも親父め。 の年の数、何で知ってんだよ。

 

 真紅のバラの次は、純白のユリだった。

『ワシのような年長の者の目から見ても、 は非常に落ち着きがある。若いのに大したものだといつも思っておるのだ。それでいて清楚な感じに、ワシはこの白いユリを贈りたい。 黄公覆』

 ジジイが色気付きやがって。

 孫策は舌打ちした。思ったより年齢層も広いようだ。

 

 さらに隣にあったのは切り枝だった。秋よろしく、深く色付いたカエデである。

『周幼平』

 署名だけで、手紙はない。コテコテの花と、くどい文章を見た後のためか、かえってそれも粋かもしれないと思ってしまった自分が悔しい。

 

 その横にあるのも切り枝だった。が、こちらは何かの若木らしい。

『話聞いたぜ。俺は、やっぱり は桃だと思うな。今は季節じゃないから、枝しか贈れないのが残念だ。 甘興覇』

 桃。桃と来たか。

 桃と言えば桃の…。

 花だろうな。実じゃねぇよな。それによって大分、扱いが違ってくるぞ、興覇。

 

 その一方で、本当に果実もあった。カゴに盛られているのは粒の大きなブドウである。孫策は一粒つまんで口に入れながら手紙を開いた。

にはブドウを捧げたい。私から見れば、兄上の隣に立つ は手の届かぬ存在だから。異国の物語では、ブドウは酒の神と縁が深いという…まさしく芳醇な酒のように私の心を奪っている…。 孫仲謀』

 孫策はブドウを吹きそうになった。

 昼間っから酔ってんじゃねぇよ!

 

 口のあたりをぬぐいながら、孫策は、さらに周りに目を走らせた。

 ここまで来たら、アイツのが無いわけがない。

 最後になった包みに孫策は目を止めた。扉に近い最もいい位置を占めている。

 孫策はその包みを手に取った。どうもお茶のようである。そっと包みから取り出して銘柄を見ると、高級茶の一種であることが分かった。固形にされた茶葉に、ある花の香りを含ませたものだ。手紙を開くと、その花について言及してあった。

『…ご存知のように、この花の香りは心を静め、癒してくれます。ですが、僕は思うのですよ。この花自身の心は、誰が癒してくれるのでしょうか、と。もし困ったことがあったら、何でも僕に相談してくださいね。僕はいつでも の味方です…』

 なぜか花の名前は最後まで出てこなかった。孫策はその花を知らない。なので孫策が覗き見ることを想定して、わざとそういう書き方をされたのではないかという気もしてくる。負けたような、それでいてうんざりしたような気分になりながら、孫策は予想通りの署名を最後に見出した。『陸伯言』。

 

 そうしたところで孫策はこちらへ向かってくる足音に気が付いた。 が戻ってきたのだ。

 孫策は慌てて手紙をもとの位置にしまい、 がこちらへたどり着く前に声をかける。

!待ってたぜ!」

「伯符さま?」

 孫策の姿を認めて は足を止めた。

「ごめんなさい、私に何かご用事でしたか?」

 「待っていた」という言葉に、 は申し訳なさそうに答えた。それでいて は視界に見慣れぬものがあることに気付いた。

「あら?私のお部屋の前に何か…?」

「あ、それ後でも問題ねぇから」

 孫策は の目線を自分の身体で遮る。失せようが枯れようが知ったことではない。

「時間あるだろ?出かけようぜ」

「それは大丈夫ですが…どちらへ?」

 孫策はわずかに視線を泳がせながら答えた。

「お前に相応しい花を見に」

  は一瞬、何のことか分からずに孫策を見つめ、次に思い当たって口に手を当てた。

「な、な、何でその話、ご存知なんですかっ!べ、別に私は自分がどうとか言ったわけではなくて…!」

「いいじゃねぇか、折角だから」

 孫策は の腕を引っ張るようにして歩き出した。 が戸惑いながらも続く。孫策は振り向く。

「高台まで行くぞ。今が見頃なんだ」

「高台に咲いてるんですか?」

「ああ。意外と丈夫で、荒地でもよく育つらしいぜ」

  は少し考えてから言った。

「…もしかして草ですか」

「花だって言ってるだろ!」

 思わず乱暴な言い方になってしまったのは、決まり悪さを繕うためだ。

  の手を取ったままで、ずんずん歩きながら孫策は頭の中にその花を思い描く。

 偶然寄った高台で見付けた、花畑。一面に咲き乱れたその景色を見たとき、心の中で重なったのが だった。

 孫策は視線を から離し、前方に顔を向ける。

「可愛くて…強い」

 面と向かっては言えないけど。

 実は、俺の好きな花。

「秋桜(コスモス)だよ」

 

 


 

中国語でコスモスは「大波斯菊」というそうですが、ここでは和名の「秋桜」を使用しました。「桜」の孫策と対を狙いましたが…「私はそんなチンケな一年草じゃないわっ!」と思った方、大変失礼しました。

ちなみに陸遜のはジャスミン茶を意識していますが、この時代にはまだ存在しないようです…。

 

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