仲の悪い食事会
アーリットが旅先からリューガ邸に戻ると、兄たる人が手紙のようなものを目の前にして唸っているところだった。 「ただいま帰りました!…どうしたの?お兄様」 「あ、ああ。アーリットか。実は雌狐から食事会の案内が届いたものでな。大方、何か催し物がキャンセルになって、料理が余ったのだろう。雌狐とティアナ、アトレイア王女も出席されるそうだ。…ドラ息子もか…丁度戻ってきたところらしいな…。それで俺とお前にもにお誘いが来ている。どうする?」 「…いいんじゃないかしら。一食浮くなら」 「なら行くか。…ファーロスの連中の前では絶対にそんなことを言うなよ」 「料理って何があるかな?このスープ、ハエが入っているじゃないのガシャーン!ってやっていい?」 「…毒でなくて良かったと思うところだろうな。止めておけ」
たった今リューガ家の兄妹が入城したという知らせをティアナは受け取った。エリスとゼネテスは既に待機している…そこまで考えてティアナは小さくため息をついた。アトレイアがそれに気付いて声をかける。 「ティアナ様。お加減でも悪いのですか」 「…アトレイア様。実は私、心配なのです」 「心配、と言われますと?」 「はい。正直言って、和やかに食事をするようなメンバーではないような気がいたしますの。私としては、できれば皆様に楽しい時間を過ごしていただけたらと思っているのですが、普通の食事会程度に歓談するだけでも何やら相当な努力が必要な感じがしまして…。あの、アトレイア様もご協力くださいませんか?雰囲気が悪くなりかけたときに、何か一言おっしゃっていただければ、場も和みますし、お話も盛り上がると思いますの。ティアナを助けると思って、どうか、お願いします」 「え…は、はい…。ですが私…盛り上げるなんて…とても…そもそも何をお話してよいのか…」 「そうですわね、とりあえず同調するのがよいと思いますわ。例えば『いいお天気ですね』と言われたら『そうですね』とお答えするような感じですわね。あとは元気にお声を出すことかしら」 「…分かりました。やってみます」 アトレイアは頷いた。
テーブルには豪華な料理が並べられていた。一同が着席し、エリスによって型通りの挨拶が述べられる。 レムオンはそれを聞きつつ、つい、いつもの癖が出た。 「ふん、ご苦労なことだ、雌狐めが」 小声のそれを聞きつけたゼネテスが小声で返す。 「おいおい、アトレイア王女も来てるんだ。そういうことは言いっこなしにしようぜ」 アーリットも頷く。 「そうよ、お兄様。狐が聞いたら気を悪くするわよ」 ぴくり、とエリスのこめかみが引きつった。一同に緊張が走った。アトレイアはハッとした。盛り上げなくては! 「まぁ!アーリット様ったら!全くその通りですわね!」 ティアナは自分の顔が真っ赤になるのを感じた。その場で勢いよく立ち上がり、ティアナは叫んだ。 「アトレイア様!御髪が乱れているようです!直して差し上げますわ!さぁ、こちらへ!」 そのまま化粧室までアトレイアを連れ出し、その髪を梳きながら、ティアナは言った。 「アトレイア様。やはり、同調するだけというのもパターンに乏しいですから…そうですわね、何か事柄があれば、それについて、質問するがよいですわ。例えば『先日闘技場に行ってきました』と言われたら『闘技場とはどういうものですか』と訊くような感じですわね。そうすれば訊かれた相手はそこから話を進めやすくなりますのよ」 「…分かりました。やってみます」 アトレイアは頷いた。
一方その頃。目の前の食べ物に興味を完全に移し、盛んに手と口を動かしていた妹が、静かになっていることにレムオンは気付いた。見れば、片手で腹の辺りを押さえるようにして、うつむいている。 「アーリット、どうした。気分でも悪いのか?」 「ん…ちょっとお腹が…」 「何?雌狐め、まさか本気で毒を…!」 「ううん、そうじゃなくてさ。…ごめん、やっぱりベルト緩めてくるわ」 戻ってきたティアナとアトレイアの二人と入れ替わるように、アーリットは席を立った。 レムオンが彼女の目の前の皿を見ると、料理はもちろん空、果物も果肉のえぐりすぎで、残っているのは透けて見えるほど、ぺらぺらの外皮のみ。レムオンは軽く額を押さえた。 (一体誰がこの娘を、ロストールで一、二を争う名門リューガ家の一員と信じるだろうか。食べ物を大切にするのは結構だが、遭難して帰ってきたわけでもあるまいに、ここまで食べる貴族がどこにいるというのだ) レムオンがふと目線を横に向けると、全く同じ食べ方をしてある皿があった。こちらはもっと大量だが。 (ドラ息子…!) 貴様、と言おうとして息を吸い込んだところで、エリスがレムオンに話しかけた。 「ところでエリエナイ公。ノーブル伯も年頃ではないか。なかなか見目麗しい娘だ。男性関係も賑やかだろう?」 微妙に関連する事柄だけに、レムオンはとっさに返事ができなかった。それは妹に対する侮辱か、と問おうとしてレムオンは止めた。妹のいないこの場で自分に訊くその意味を考えたからだ。本当に知りたければ、わざわざ自分にに訊かなくとも情報などいくらでも入手する手段があるはずだろうに。 (俺が兄としてどれだけ妹のことを把握しているか、試す気か) ならば回答は慎重に行わなくてはいけない。男性関係については、目立ったものはない。なぜなら妹に付く悪い虫は自分が払っているからだ。虫の中でも一番しぶとくて駆除しきれないのも目の前にいるが。だが、その一方で、年頃の娘に浮いた話の一つもないというのも逆に不自然か。そもそも初めから誰も近寄ってこないのではと思われるのも問題だ。 もしも、もしも、賑やかな男性関係とやらが「ある」のに、「ない」と答えたら。俺の監督不行き届き。妹のことを全然知らぬ愚かな兄。 「ない」のに「ある」と答えたら。単なる見栄っ張りになってしまう。 つまり、絶対に事実に基づいて答えなくてはいけないということだ。が、自分が妹に関してもっとも把握しきれていないのがこの部分なのだ。そのときレムオンは、ゼネテスが神妙な面持ちで目配せしているのに気付いた。ゼネテスはエリスからは見えない角度に腕を動かし、こっそりと人差し指と親指で…丸を作ってみせた! レムオンは頭を殴られたような衝撃を感じた。遊び人で鳴らしたこの男をして積極的肯定のサインを出さしめるとはどういうことか。考えたくないが、妹は女としてやり手ということなのだろうか。そんなはずは…と思いつつ、自分の知識に確証が持てない以上、手がかりはそれしかない。レムオンは搾り出すような声で言った。 「…それなりにあるようです」 ゼネテスの眉が跳ね上がった。 (ゼロだよっ!アイツ意外と身持ちが固いんだぞっ!)
アーリットが戻ってきたのはそれより少し後だった。何やら変な雰囲気を感じつつも着席する。エリスがその様子を見て言った。 「お主も、なかなかやるようだのう」 たった今のやり取りを聞いていないため、アーリットには何のことだか分からなかった。が、言葉から、どうやら褒められたらしいと推測した。褒められるのは、悪い気はしない。気を良くしたアーリットは、淑女らしく謙遜することにした。 「いえいえ、エリス王妃には遠く及びませんから」 カチャン、とエリスがフォークを置く音が高く響いた。一同に緊張が走った。アトレイアはハッとした。盛り上げなくては! 「まぁ!それはどういうことですの!もっと詳しく聞きたいですわ!」 ティアナは顔から火が出るのを感じた。その場で勢いよく立ち上がり、ティアナは叫んだ。 「アトレイア様!御飾りが少し汚れているようです!拭いて差し上げますわ!さぁ、こちらへ!」 そのまま化粧室までアトレイアを連れ出し、その首飾りの宝石を拭きながら、ティアナは言った。 「アトレイア様。やはり、漠然と質問するだけよりも、もう少し具体的にしたほうがよいようですわ。…そうですわね、例えば『ギルドで依頼をこなしているんです』と言われたら『それは配達ですか、それとも護衛ですか?』と訊くような感じですわね」 「…分かりました。やってみます」 アトレイアは頷いた。
戻ってきたティアナとアトレイアの二人と入れ替わるように、ゼネテスは席を立った。 「ちょっと便所行ってくらぁ」 「…ふん、下品な」 レムオンの言葉に、ゼネテスは振り向いた。ゼネテスは、先ほどのレムオンとのやり取りで、彼にしては珍しく機嫌が悪かった。そのため、いつもならば聞き流すはずのものにも、つい反応してしまった。 「んだと。…ああ、美形は行かねぇことになってるもんな」 レムオンの頬にさっと赤みがさした。一同に緊張が走った。アトレイアはハッとした。盛り上げなくては! 「まぁ!ゼネテス様ったら!それは大ですか、小ですか?」 ティアナはこの場から消えてしまいたいと思った。
そんなこんなで。 友好ならざる気配を残したまま、食事会は終わっていった…。
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