宛名のない手紙
迫りくる魏の大軍に対して、呉と蜀が共同で迎え撃とうとしていたときのことです。
周瑜は、大事な決戦を前に、苛々していました。綿密に練り上げた作戦であるために、どれかが欠けると成り立たなくなってしまうからです。しかも蜀の諸葛亮とやらが、ポイントとなる部分を担っています。周瑜としては、それも面白くありません。
諸葛亮とやらは、本当に信用できるのか?
その諸葛亮は、すでに祈祷の準備に入り、失敗したらお前のせいだと言わんばかりに誰も近付けようとはしません。
周瑜は今更とは思いつつも、諸葛亮に手紙を送って連絡を取ることにしました。
その一方で。
「なぁ、公瑾。俺、何かすることないか?」
「伯符!君はいないものとして振る舞えと言っただろう!」
本来いないはずの孫策は、出番がありません。指示が飛び交い慌しくざわめく陣中で、孫策は一房に押し込められ、留守番を言いつけられていました。仕方ないとはいえ、顔を出すたびに周瑜に怒られては、孫策としては面白くありません。かろうじて手紙を出すことだけは許されたので、早速、孫策は筆を取りました。
「確か、蜀から諸葛亮ってのが来てるんだよな。どんなヤツなんだろ。折角だから、そいつに何か書いてみるかぁ」
× × ×
こうして諸葛亮のもとに、周瑜と孫策から同時に手紙が届きました。
「なんと酔狂な…。全く、この忙しいときに」
諸葛亮は、風を待つだけの身分を棚に上げて嘆息しました。しかし、ここで無視をして心証を悪くしては、後々の交渉に悪影響を及ぼさないとも限りません。諸葛亮は観念して手紙を読むことにしました。
まず周瑜からの文面を開きます。簡単な挨拶の次に、高圧的な本文がありました。
周瑜 「こちらの準備は整いつつある。だが、決め手となるのはやはり、風だ。必ず風を吹かせよ」
諸葛亮は、頷きながら返事を書きました。
「それは私の望むところでもあります。身を清め、香を焚き、ひたすら祈り続けましょう。願いが天に届くまで、どうかお待ちください」
続いて孫策からの文面を開きます。簡単な自己紹介の次に、愚痴っぽい本文がありました。
孫策 「公瑾、ピリピリしてるからなぁ。公瑾の機嫌、早く直りゃいいんだけど」
諸葛亮は、思わず苦笑しながら返事を書きました。
「思い通りにいかぬこともあります。それは諦めるしかないでしょう」
諸葛亮はそれぞれの返事を伝令に持たせました。
しばらくして、また諸葛亮のもとに、周瑜と孫策から、たまたま同時に手紙が届きました。
まず周瑜からの文面を開きます。
周瑜 「曹操の南下の胸中を、いかに考えておられるか」
諸葛亮は、曹操の詩を思い出しながら、返事を書きました。
「その目的の一つは、貴殿の奥方でしょう。二喬を並べて愛でることを考えているようですから」
続いて孫策からの文面を開きます。
孫策 「公瑾のヤツ、俺をこんなところに押し込めて、どういうつもりだと思う?」
諸葛亮は、それは知ったことではないと思いつつ、返事を書きました。
「ご本人が近くにおられるのですから、直接お尋ねになってはいかがでしょうか」
諸葛亮はそれぞれの返事を伝令に持たせました。
しばらくして、またもや諸葛亮のもとに、周瑜と孫策から、たまたま同時に手紙が届きました。
まず周瑜からの文面を開きます。
周瑜 「例の作戦だが…船に火を広げるために効率的な策を準備してあると聞いた。この点について確認したい」
諸葛亮は、連環の計と呼ばれるそれを頭に思い描きながら返事を書きました。
「鎖でつないでしまうのですよ。身動きをとれぬようにしてしまえば、あとはどうとでもなりましょう。鎖は頑丈で、太ければ太いほどよろしい。この件に関してはホウ士元が隠密に動いています。失敗はありますまい」
続いて孫策からの文面を開きます。
孫策 「そんなにうまくいかねぇよ。あいつ結構強いし、身も軽いんだぜ」
諸葛亮は、あいつというのは誰のことかと首をひねりました。孫策とは先ほどまで周瑜の話をしていたはずだから、周瑜のことかと思いましたが、それにしても『強い』はともかく『身も軽い』とは唐突です。諸葛亮は正直に返事を書きました。
「おっしゃる意味が分かりかねます」
諸葛亮はそれぞれの返事を伝令に持たせました。
これらの全ての返事を伝令に持たせるとき、諸葛亮は万一のことを考えて、宛名を敢えてつけず、伝令に行き先を告げることで区別しました。
見た目が同じであるため、伝令は周瑜と孫策のそれぞれの返事を混同してしまいました。
なんと、三度とも周瑜と孫策の返事を逆に届けてしまったのです。
× × ×
「こちらの準備は整いつつある。だが、決め手となるのはやはり、風だ。必ず風を吹かせよ」
周瑜が諸葛亮に送った最初の手紙の内容は、こういったものでした。
周瑜が待っていると、ほどなくして、諸葛亮から返事が届きました。
諸葛亮 「思い通りにいかぬこともあります。それは諦めるしかないでしょう」
この男、果たしてやる気があるのか?
周瑜は美しい眉をひそめました。
あれほど自信満々だったくせに、なぜこの場になって弱気なことを言うのか。
やはりこんな得体の知れない男の協力を得るのは失敗だったか、と周瑜は思いかけましたが、自分のほうこそ弱気になっているような気がして考えるのを止めました。代わりに、諸葛亮に別の質問をぶつけることで、諸葛亮の真意を探ろうと思いました。
「曹操の南下の胸中を、いかに考えておられるか」
ほどなくして、諸葛亮から返事が届きました。
諸葛亮 「ご本人が近くにおられるのですから、直接お尋ねになってはいかがでしょうか」
曹操に、直接訊けと?
身も蓋も無い返答に、周瑜はこの言葉が、自分に対する侮辱か、丁寧すぎる助言か、判断に迷いました。
が、最終的に周瑜が思ったのは、諸葛亮がこちらの狙いを読んだ上で、かわしたのではないかということです。
おのれ諸葛亮、侮れぬ…。
あまり迂闊なことを言っては、逆に余計な情報を与えるだけかもしれないと周瑜は思い、実務的な話にしぼることにしました。
「例の作戦だが…船に火を広げるために効率的な策を準備してあると聞いている。この点について確認したい」
ほどなくして、諸葛亮から返事が届きました。
諸葛亮 「おっしゃる意味が分かりかねます」
周瑜は思わず机を叩いて怒鳴りました。
「打ち合わせしただろうがっ!」
× × ×
「公瑾、ピリピリしてるからなぁ。公瑾の機嫌、早く直りゃいいんだけど」
孫策が諸葛亮に送った最初の手紙の内容は、こういったものでした。
孫策が待っていると、ほどなくして、諸葛亮から返事が届きました。
諸葛亮 「それは私の望むところでもあります。身を清め、香を焚き、ひたすら祈り続けましょう。願いが天に届くまで、どうかお待ちください」
…いや、そこまでしなくていいだろ。
孫策は思いました。
俺、そこまで嫌じゃないし。慣れてっから。
もっとも、ちょっとくらい、俺に出番をくれてもいいのになぁとは思うけど。
と、考えたところで、孫策は、次の手紙を送りました。
「公瑾のヤツ、俺をこんなところに押し込めて、どういうつもりだと思う?」
ほどなくして、諸葛亮から返事が届きました。
諸葛亮 「その目的の一つは、貴殿の奥方でしょう。二喬を並べて愛でることを考えているようですから」
…マジかよ。
孫策は思いました。
公瑾のヤツ、愛妻家ぶってるくせに、やっぱり小喬だけじゃ足りねぇのか?並べるってなんだよ。自分、真ん中で、川の字か?
でも大喬だって、腕は立つし身は軽いしで、自分の身くらい自分で守れるよな。公瑾のこともよく知ってるから、今更遅れを取ることもないだろうし、滅多なことにはならないと思うけど。
と、考えたところで、孫策は、次の手紙を送りました。
「そんなにうまくいかねぇよ。あいつ、結構強いし、身も軽いんだぜ」
ほどなくして、諸葛亮から返事が届きました。
諸葛亮 「鎖でつないでしまうのですよ。身動きをとれぬようにしてしまえば、あとはどうとでもなりましょう。鎖は頑丈で、太ければ太いほどよろしい。この件に関してはホウ士元が隠密に動いています。失敗はありますまい」
…鎖?
周瑜が黄蓋を鞭で打ちまくった話を思い出しながら、孫策は思いました。
おい、その辺の趣味、どうなんだよ、公瑾。
しかもなんで士元まで出てくるんだ。そこまでやるかぁ?
腑に落ちないものを感じつつも、孫策は声を張り上げました。
「おーい!誰かいないかー!大喬の様子、見てきてくれよー!」
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